喜怒哀楽な日々

へっぽこ生活の中で感じた様々な事をつらつら書き連ねてます。あとハマってるアニメ・小説・ゲームの事もチラホラ。本人の性格そのまんまの統一性のない日記です。

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うみねこ感想・まとめ② 

EP8終了からしばらく経ってからの感想です。
「わからぬ、わからぬ! 何じゃこの結末は!!」から「オーケー、把握した」になりました。
ネタバレあるのでご注意くだされ。 把握したこと:あえて真実を描写せず、読み手にあれこれ想像させるのが『うみねこのなく頃に』の真相
以下ダラダラと。

うみねこの『魔法』は『信じること』『認めること』だと自分は解釈しました。
真里亞にとってのさくたろうがわかりやすいです。
さくたろうは真里亞が桜座に作ってもらったぬいぐるみを元に作り出した幻想です。
が、真里亞が「さくたろうはいる」と信じることで存在し、真里亞と会話ができます。
また、ベアトリーチェが「さくたろうはいる」と認めたため、さくたろうはベアトリーチェとも会話ができます。
でも他の人間には『さくたろう』という名前のぬいぐるみしか見えない。
これが魔法。

「ただのごっこ遊びじゃん」と片付けてしまっては愛がない。魔法を理解するとさくたろうは視えます。
「愛がなければ(幻想のさくたろうは)視えない」ということです。
うみねこのキャッチコピー『愛がなければ視えない』は全部こんな感じで当てはめていけばいいんじゃないかしら。

キャッチコピーを拡大解釈すると
「登場人物に対する愛情があれば、自分が理想とする結末が視え(真実となり)ますよ」ではないかと思いました。
例えるなら「原作では恋愛描写のないキャラでも、二次創作で補完するとCPとして成立しますよ」かな。
ちょっと飛躍しすぎか。
二次創作によくある、そのCPが他の人に支持されていつの間にか公式CPのように認識される、というのは上述の『魔法』に当てはまるのではないかなー、と思ったり。
でも成り立ちを知らない人が公式CPだと信じて他の組み合わせを否定する、というのは好きではありませんな。
まるで偽書を読んだだけであーだこーだ得意気に議論するウィッチハンターのようだな、とも思ったり。


二次CP話はさておき、EP8は「実際はどうであれ、こうだったと信じればそれが当人にとっての真実」という話でした。
またEP5~8は「真実とはなんぞや?」の話だったとも思います。
特にEP5。ヱリカの夏妃犯人説を誰も否定できず、無実の夏妃は犯人であると認識されます。
夏妃本人は否定しているのに、証拠がないため(だったかな? 否定してもそれを否定されたためだったかも)却下。
夏妃にとっての真実は「自分は犯人ではない」なのに、周りは「夏妃は犯人である」というヱリカの言う真実を信じる。
「真実って人によって違うんだよ」「真実ってこんなに不確かなものなんですよ」という話だと思いました。

あえて真実を描写せず、読み手にあれこれ想像させるのが『うみねこのなく頃に』の真相なのだと思います。
現実でも真実はひとつじゃないよ、色んな方向から考えてみることを知ってね、ということなのかしら、とも思ったり。
目指すところは『藪の中』といったところでしょうか。


各EPでちょろちょろ出てきたカケラを見る限り、おそらく真実は相当救いのない、ゲロカスまみれのものでしょう。
金蔵が下衆野郎、六軒島殺人は次男一家が犯人、絵羽はすごくいい人なのに誰にも理解されない、など。
それをはっきりと原作者が書いた文章で読みたいかと言われれば、読みたくないです。
ベアバトやカノジェシが読みたいです。ハッピーエンドがいいです。

魔法エンドというのは
「猫箱は閉ざされ、無限の想像が可能となりました。あなたが信じればそれは真実になります。
 あなたにとっての真実の世界ではベアバトやカノジェシがあり、ハッピーエンドを迎えています。
 それはつまりあなたが魔法で作り出した黄金郷なのです。おめでとう、あなたは至った。」
ということなのだと思います。

それはそれでいいとは思うんですけど……。
「こんな、××××××が××××××××××××だなんて!」(←イメージ)はねぇだろ、と。
ゲロカスまみれでも『一なる真実』とやらをきちんと書いて、「でも魔法を信じればこういう真実もありえるよ」と救いという形なら納得する人が増えると思うんですよね。
思わせぶりに小出し小出しにした結果「教えてあげないよ! ジャン!」と言わんばかりの終わり方は、そらねぇよ、と。

まぁ『一なる真実』をきちんと書かない=猫箱は閉ざされたまま、ということで作中の事件と重ねているのでしょうな。
 書いてしまうと真実が固定されてしまう=書かれなければ真実はわからないまま
  ↓
 真実はわからない=複数の可能性が存在できる
  ↓
 複数の可能性=無限の真実を得られる
  ↓
 それはすなわち魔法である 、かしら。
「書かれなければ真実はわからないまま」は角度は違いますが、意味する所は上述EP5の解釈と一緒ではないかと思います。

あと、「ベアバト、カノジェシなんてねーよ! 戦人はベアトの事何とも思ってないし、嘉音なんていねーの!」と原作で宣言されると妄想力がガガガンと下がる自分にとっては、妄想の余地が残されている事はありがたいことであります。
(原作で宣言うんぬんは、さくたろうの存在を桜座に否定されてぬいぐるみを破壊された時の真里亞の気持ちに似てると思います。生みの親に否定されたら存在させられないよ……)
EP8を読み終えた直後は「全然真実わからん! 何じゃこれ!」とブーブー言うてましたが、少し落ち着いてみると「これはこれでよかったのかも」と思えるようになりました。


ただ納得はしていないです(しつこいな)。
いくらなんでも丸投げしすぎてやしないかい? とも思うのです。もうちっとスッキリさせてくれい、と。
猫箱を閉じるのはいいと思います。いろんな真実(カケラ)がある、というのはひぐらしでわかりました。
しかしカケラを途中まで見せて、思わせぶりな事を小出しにして、結局真相はぼかすというのがスッキリしない。
各カケラの結末まで見せてよ、と思うのです。チラッと覗かせておいて煙に巻いてバイバイはないぜ、と。
でも分かる人にはわかるらしい。
自分にもう少し読解力があれば「うみねこいいじゃん、最高ジャン!」になったのかしら。
もう一度よく読みこまないと原作者の意図を理解できないな、と思いました。
EP1から全部読み返してみたいです。もしかしたら違う事柄が見えてくるかも。
しかし漫画版はどう表現するんだろう。特にEP7。


しかし志方あきこさんの『白夢の繭~Ricordando il passato~』はエンディングにピッタリでした!
これだけ聴くと魔法エンドで満足。
「よかった、ベアトリーチェはようやく眠りにつけたんだね」としみじみしました。
例え真実がわからなくても、何となーく雰囲気がつかめるのが志方さんマジック!
今度は志方あきこさんのうみねこ曲の歌詞について考えてみたいです。


付け足し。
碑文の
『魔女は賢者を讃え、四つの宝を授けるだろう。
 一つは、黄金郷の全ての黄金。
 一つは、全ての死者の魂を蘇らせ。
 一つは、失った愛すらも蘇らせる。
 一つは、魔女を永遠の眠りにつかせよう。

 安らかに眠れ、我が最愛の魔女ベアトリーチェ。』

ですが、魔女=原作者、賢者=読者ではないかなーとか思ったり。
原作者の「もう休ませてよ」というメッセージも含んでるのかしらとか。
四つの宝ですが、
 ・黄金郷の全ての黄金 ・・・・・・・ 二次創作で売れれば現金入るよ☆(ゝω・)v ←おいおい
 ・死者の魂を蘇らせ ・・・・・・・・・・ 二次創作では死んだ人も蘇るよ☆(ゝω・)v
 ・失った愛すらも蘇らせる ・・・・・ 二次創作ではカップリングも自由自在だよ☆(ゝω・)v
 ・魔女を永遠の眠りにつかせ ・・・ 二次創作で盛り上がったら原作者はもう休んでいいよね☆(ゝω・)v

とか。って、飛躍しすぎだよオヤジ君☆(ゝω・)v
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[ 2011/09/19 01:25 ] ひぐらし&うみねこ | TB(0) | CM(0)
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